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次の時代を考える

先日、大学時代の友人の結婚パーティのため、大阪へ帰省していました。

地元は大阪市内ですが工場やら商店やらの多い下町で、実家の付近は昔ながらの平屋がまだあるようなノスタルジックな町です。

実家から最も近い商店街は半分くらいはシャッターになっています。自分が子供の時からおばあちゃんだった人が当時と変わらない様子で店番をしていて、時間が止まってしまっているように感じます。

目につく商店は、薬局、高齢者用品、お菓子屋、精肉店、魚屋、ブティックなどなど。見事にお年寄りのための商店街。(ペットフードを置いている本屋さんが有り、マーケティングできているなと関心しましたw)

立地的には繁華街のミナミにも近く、若い家族もたくさん住んでいるものの、その商店街を利用している人はほぼ居ないような状況です。

お店をしている人も、そこに来る人も、数十年前から変わらない時間を過ごしているのだろうと感じる光景。変えることはできず、変わることも望んでいない、そんな空間です。

あの商店街は店主が死んでいくことでこれからどんどんシャッター化し、最終的には消滅していくでしょう。

活気があった時代も間違いなくあったと思います。地元の人たちで賑わい、日々に工夫と愛情を注ぎ、店主と客がお互いを必要とし合うそんな町の姿が。(たぶん)

今はその名残の中でかろうじて生きながらえている、商店街という存在自体が年老いているような感じです。環境はそこにいる人で作られることをまざまざと見せつけられました。

今ある事業は今そこで生きている人のために存在している

今、自分が生きている時代が正しいものと思って、その世の中をどう便利に豊かにしていけるかを考えています。

でもさびれた商店街に感じた「限られた人たちのための存在」と同じように、次世代からすると僕らが生きている時代は魅力的ではなく、所詮同じ時代という括りの中で生きている人たちのものでしかなく、自分たちには関係のないものという見え方をしているのだと思います。

世の中に新しい価値を提供していく。今後10年、20年先の未来をつくろうとした時に、同じ世代に受け入れられるものでは、世の中にインパクトを与えることはできないなと感じました。

社会に熱を与えて動かしていくその時代の若者を巻き込んだ環境を作れなければ、それ以降の発展は無いのだろうと。

同じ時代を生きる人たちと共に沈んでいくビジネスにはしたくないな、地元の朽ちゆく商店街を構成するひとつのパーツにはなりたくないな、と思った次第です。

 客を入れるつもりのない本屋。