僕は大学時代に友人から言われたひと言があったからこそ、今の自分があると思っています。
それは、大学祭の実行委員会で委員長をしていた時のことです。
大学祭実行委員会は、上回生と呼ばれる3年生(関西は3回生っていいますw)が全体の企画と指揮を取り、下回生と呼ばれる1年・2年が現場を動かすという組織でした。
大学祭は春の新歓祭と秋の銀杏祭と年に2回あります。3年になり委員長に就任した僕は、先輩たちの作った祭りを超えようと気持ちが高ぶっていました。
僕は「過去最高の祭りを作る!」という決意で取り組んでいたので、人生の全てを祭りに注いでいました。なので、とにかく自分がいいと思ったことをどんどんと打ち出して、周りを納得させて推し進めていた状況です。
そうしているうちに、僕のやり方に対して不満が出て、上回生の一人にこう言われました。
「お前みたいに何でもできるやつばかりやないんやで。」と。
僕が全てをできていたわけではもちろんありません。ですが、あるべき姿は持っていたので、その期待値を押し付ける形でコミュニケーションをとっていました。
「最高の祭りを作る」というのは組織としての共通の目的でした。ですが、そこにかける情熱や意識の高さには差がありました。
みんな、サークルやバイトや勉強などをしながら大学祭の運営に携わっています。
それぞれがいろんな人生を持っていました。
僕は最高の祭りを作るためには、今の自分の全てを注ぐ覚悟が必要だろうと考えていたので、それを周りにも要求していたと思います。
もちろん何名かは同じ熱量で取り組んでいましたが、多くのメンバーはそうではありませんでした。
この言葉を伝えられた時、自分の中でのチームへの考え方がガラリと変わりました。
自分と同じ熱量を持った集団で一つのことを成し得ることを目指すのではなく、メンバーのそこで出せる限界のパフォーマンスを発揮してもらうためのサポートをすること、自分の熱量を分配しながら、関わってくれているメンバーの最大限を高めていくこと、それらによって一つの大きな目標を目指すのだ、と。
一人ひとりにはこの場所にない人生があり、この場所に対して幾分かの命の時間を割いてくれているのだから、その時点で感謝すべきです。その人達がその場所で成し得たいことをできるような環境にすることが、組織づくりをする人間の役割なんだと思うようになりました。
この時の経験が、今の「マーケティングチーム作り」という自分の提供価値の源泉になっています。
組織として成果を求めるのは大事です。ですが、そのためにはメンバーがパフォーマンスを発揮しやすい環境や、彼らの最大値を高めるためのサポートができているのかを考える必要があります。
p.s.
「部下の自主性」は当てにならないし、当てにすべきでもない」という記事を読んでの見解を書こうと思ったのですが、自分の原体験の話で文量を使ってしまったので、また次の機会に書きますw