週末に法事で大阪に帰省していました。
東京モノレールに乗るために浜松町へ向かう途中。駅のホームで地味な車体広告の山手線が目に止まりました。職業柄か、街中の広告などに普段から目を向けるようにしています。パッと見、何の広告かわからなかったので、よく見てみると。。
「信州で学ぼう」というコピーと学生さんのビジュアル。「学校の広告か。なんで都内を走る山手線で、信州の学校の広告してるんやろ?学生の数が足りひんから、都会から地方へ学びに越させようとしてるんかな?」と勘ぐる。
「ターゲットは、都会の学校で疲弊してる学生さんかな?子どもに自然の中で教育させたいと考えてる親世代かな?」と、この媒体をプランニングした人の意図を妄想。
OOH広告(電車や駅、街中の広告)は通勤・通学者をターゲットとした広告をする時に、生活動線に合わせたタッチポイントとして有用です。でも、広告を見るために電車や駅、街を利用している人は皆無なので、そこでどう見せるかが重要になります。
「信州で学ぼう」と言われても、何故信州なのか?検索窓がついていても、なんで自分が「信州で学ぼう」と検索しなければならないのかがまったくわかりません。
「注意を引く」を意識しているか?
これ、電車の広告に限らずよくあることですが、広告を見た相手に思考を委ねてしまっています。絶対に忘れてはいけないのは、広告は見られていないということ。人がそこにいるから見る、目に入る位置にあるから見る、という意識で作られている広告意匠が今でも世の中には多すぎます。事業主、広告代理店の都合の良い想定によって作られているためです。
特にOOHの広告などでは顕著です。電車の中にたくさんあるポスターは、凝視しないと(凝視しても)見えないような文字でずらずらと書かれている広告が多くありませんか?
現場を見ずに制作されていることが明らかです。そもそも背景としてしか捉えられていないのに、わざわざ見づらい文字を読むはずがありません。それでもよく見られているのは週刊誌の見出しポスターくらいじゃないでしょうか?これはそこに自分の興味ある情報が書かれているという前提を持っているから、あえて探して見る行動が起こります。
OOH媒体は強制視認媒体と言われてます。見る気がなくても視界に入る位置に媒体の枠(ポスターや看板)があるためです。でも、生活者の側は余計な情報をシャットアウトしています。特に近年ではスマホの画面への注目がほとんどです。
そんな中で強制視認媒体として機能させるには、嫌でも目にしてしまうような広告クリエイティブで訴求するしかありません。でも世の中に溢れているのは、手元で見えるような級数の文字、周りのポスターと違いないビジュアルのポスターばかりです。
ビールの広告なんて、パッケージとロゴを変えたらそのまま使えてしまうような代物ばかりだと思います。
見られなければ媒体に支払う費用は、ドブに捨てているも同然です。TVも雑誌もそうですが、接触可能性だけを指標にして費用が発生しています。さらにそれを測るものさし自体も信用ならないものです。
視認し、反応(クリック)した時にだけ費用を発生させられるWEB媒体が如何に有用で真っ当な媒体であるかがわかると思います。(もちろんWEB媒体だけで万事OKというわけではありません)
「興味を喚起する」から「決断を促す」までがあるか?
信州で学ぶキャンペーンがどういう顧客化プロセスになっているのかが気になったので、「信州で学ぶ」をネットで調べてみると。どうやら複数の学校が連合でやってる共同企画とのこと。WEBサイトも、複数の学校で共同宣言を出したというリリースだけの何も伝わってこない内容です。
マーケティングができていない典型です。ターゲットの考察ができていないため、欲求を叶えるベネフィット(メリット)や説得するためのコンテンツ(情報)が準備できていなど、信州で学ぶを決断させるための十分な情報が整理できていない状態でした。
なぜ信州で学ぶのか?信州で学ぶとどうなるのか?どういう人に信州で学んでほしいのか?信州で何を学べるのか?他の地方で学ぶこととどう違うのか?信州で学んだ人がどうなったのか?それらを伝えて、理解してもらって、自分にとって信州で学ぶことが最良の選択だと納得してもらわないと、誰も信州で学びたいと思いません。
このプロジェクトはおそらく効果を測る指標すら立てられていないはずです。
サイトを見る限りでは、電車とバスの車体広告のみのようです。山手線の車体広告だけで、1編成あたり2週間6百万円(媒体費のみ)、制作費も含めて1千万円近い広告費用を費やしています。
それでどれだけの人が「信州で学ぶ」を検索して、そこから信州で学ぶことに興味を持ち、検討し、説明会に参加して、実際に信州で学ぶのでしょうか?
不安でいっぱいです。
コメント